まきあっと先生「スランプから抜け出すカジュアル風イラスト秘訣ノート」(全100講 49時間 12分)を購入したので消化していく。今回はchapter94_誰も自分の絵に興味を持ってくれない時。
主に人体ドローイングの作品はそのままアップしていることが多いが、それ以外のノート等には一応モザイクをかけている。というのも、「作品」はアップしていいよとcoloso規約*に書いてあるが、それ以外については書いていないからだ。深読みしすぎかもしれないが、「作品以外については」アップするなと読むこともできる。つまりそこら辺はグレーゾーンなので深く立ち入ることはしない。モザイクをかけたノートに意味があるのかは分からないが、どちらかというと私自身の寝落ち防止&モチベ維持の意味が大きい。その点はご容赦いただきたい。
*各講座の講座資料「講座資料、提供ファイルの取扱について.pdf」より
また講座を受講する順番はsection1→section4→section5→section6→section2→section3を予定している。※section11(93章から100章)のみ各sectionが終わったタイミングで都度、受講する。飛び飛びになるがご容赦頂きたい。
後はあまり詳しく書くとなんか言われそうなので以下メモ書き程度。
誰も自分の絵に興味がないと感じた時。自分だけが一生懸命で本当は他人が自分の絵が好きじゃないと感じた時どうすればよいのか。大前提として、人は自分が作った作品を過大評価する傾向がある。これは実験で証明されており、人は自分が作る作品に時間的価値を込めてしまうのだ。カフェに行ったときの事を考えてみよう。クッキーやケーキを販売しているが、それが手作りなのか工場製なのか考えたことがあるだろうか。それよりも値段のほうが重用だ。消費者にとっては安く食べられるか、美味しいかどうかのほうが大切で手作りかどうかは大した問題ではない。従って消費者が生産者の気持ちについて考えるのは難しい。家族や恋人に対してならそのような余裕はあるかもしれないが、全ての人や物事について思いを馳せることは不可能だ。絵についても同様である。皆さんが丹精を込めた作品について、感情を理解しろというのは、周りの人たちにとても無理な要求をしていることを自覚しよう。例えばこだわりすぎた飲食店が客に難しい食べ方のルールを押しつけていたりするニュースを見たり聞いたりしたことがあるだろう。このように自分が認められたいというだけで相手を振り回すのは正しいことなのだろうか。絵についても自分は一生懸命描いたのに、周りの人たちに「いいね」を強要したりしていないだろうか。その時に周りの人たちが感じてしまうストレスや精神的負担を考えたことがあるだろうか。そうすると皆さんの絵が純粋に好きだった人たちが去っていってしまうことになる。たくさんの人達に絵を見てもらうためには、そのような気持ちを捨て去らなければならない。現実は非情だ。
すべての人は皆努力をしている。ところが相変わらず「自分はこれだけ努力したのになぜあの人は…」という気持ちが高ぶりそのギャップに苦しんでしまうことがある。自分は本当に頑張ったのに、とても努力をしたのに承認欲求の負のループから抜け出せず、それに執着しつづけると今度は自分に対してマイナスに働き始める。絵を描くのが大変になり、更に多くの人が去るだろう。これは海水を飲むようなものだ(一時的に乾きは満たされるが更に喉が乾くことになる)。すると最後に自らペンを折ることになる。もし自分がとても認められたい気持ちになっている時、それらを十分に満たすことは不可能だということを認めよう。目的を変えることが大切だ。承認されること以外に、自分が絵を描く他の理由を探そう。
皆さんは初めて落書きを始めた瞬間から他人から承認されたかったのだろうか。おそらく多くの人はそうではない。最初はただ楽しいから描いていたのだ。絵が上手ではなくても、友達と一緒に自分の絵をシェアした瞬間が楽しかったのだ。他の人があまり認めてくれなくても面白くて描いていた瞬間があったはずだ。1枚ずつ絵を描いている時にこの絵をどうするか、自分が絵を描く意味が何だったのか考えよう。これは人によって違うので正解はない。
しかし承認欲求が悪いわけではない。むしろ適度な承認欲求は必要だ。適度であれば良い刺激として機能する。皆さん一人一人所属しているコミュニティは違う。ある程度コミュニティの中で認められることを目標とした場合の話をしよう。例えばSNSでは特定のテーマが人気になっている場合が多い。そのテーマにそって作品を作れるなら幸運なことだが、そうでない場合が多い。もし所属しているコミュニティと自分の才能が合わないと感じたら無理に流れについていこうとする必要はない。むしろ自分が得意なことが何なのか探していこう。フォロワーが多いと格好いいがそれほど客観的なファンが多いとは限らない。通りすがりにフォローしていった人もいるだろう。目に見えるフォロワーだけに固執すると自分にとっての毒にもなりうる。見せかけの数値がその人の実力を示すわけではない。そしてSNS管理が上手な人ほどファン管理が上手だ。自分の好みなどを上手にアピールして作品を作る。SNSを仕事用に使いこなしている人達もいる。自分にとってのあり方を考えよう。
最後に自己肯定感という言葉について考えよう。自己肯定感がなぜ大事かというと、それが自分の味方になってくれるからだ。自己肯定感があるといったら自己陶酔していると勘違いする人がいるが、そのように捉える必要はない。本来の意味は「自分は不完全だが、それでも大丈夫」だ。自分は自分自身の味方であるべきだ。「なぜできないのか」といって自分を苦しめてはいけない。いい意味で自己肯定感を持とう。
chapter93、98に続くマインド編第3段。今回は承認欲求と自己肯定感がテーマだ。これは昨今のSNSの急速な発達の弊害についてのテーマともいえる。SNSの普及に伴って、良くも悪くも見えてこなかった側面までもが見えるようになってきている。例えば急に幸せそうな人の写真や動画などがタイムラインに流れてきて嫉妬してしまったり、負の感情が湧き上がってくる経験は私も含めて多くの人にあるだろう。自分は苦労しているのになぜこの人は幸せそうなのだろうか、といった理由だけで見ず知らずの他人を刺したりするニュースも最近見た。絵においても同じで、自分は何時間もかけて一生懸命描いたのになぜ「いいね」をもらえないのだろうかと悩んだり、嫉妬したり…。後から見ると人体がおかしかったり、顔が歪んでいたりして、そりゃあ「いいね」は貰えないと納得するのだが、一時的にせよ負の感情が湧き上がってくる点など私自身にも当てはまる話がいくつもあって、SNSとのあり方は常に考えていかなければないと再確認した。適切な距離感を保つ必要がある。そのような意味でブログは私の性に合っているかもしれない。他人のタイムラインが流れてこないし、マイペースに自分の色を出していけるからだ。そして自由気ままな私のブログにも読者の方がいることに感謝をしなければならない。
面クロッキー1時間。今回はMark先生の講座を再確認しながら模写したもの。

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