ヨルシカの『二人称』を読んだ。

以前書いたようにアルバム発売日(本日2026年3月4日)に合わせてヨルシカの『二人称』を読了したので感想を書きたい。ただこれは、悩んだがあまりネタバレはしないほうが良いだろうということで核心には触れない上での感想となる。もし内容が気になる方がいたら是非自分で買って読んで欲しい、とだけ伝えておきたい。読了した後の清々しい気持ちはインターネットのネタバレ的なもので味わうべきではないからだ。強いて言えば一緒にアルバムも視聴して欲しい。作品内に登場する全ての詩が歌となっているので、私はアルバムを聞きながら読んだ。

前回ヨルシカは文学が好きなアーティストというようなことを書いたが、どうやらそれは間違いということになるだろう。ヨルシカは単に文学が好きなのではない。アーティストでもあり、作家でもある。そして詩人なのだ。

一番好きな詩について。1つだけ選ぶとすれば千鳥だ。「風が私を呼んでいる」という宮沢賢治の引用もそうだが、この詩に登場する「私」が二人称である「あなた」に語りかける所が好きだ。また原稿用紙に書き殴られている文字も他の作品とは異質だ。「る」がそうだが、文字が大きくて力強さが伝わってくる。更に歌詞の最後の部分はナナメになっていて本当に酔っているのか?と疑問を抱かせる点が面白い。suisさんもそれらの点を踏襲しているように歌っているし、歌を初めて聞いた時は又三郎のように強く風が吹いてくる衝撃があった。そして最初は風の視点だが、最後は私の方に視点が変わる。この詩が出てくる(視点が変化する)あたりから僕は歩みを再開する。

ヒッチコックについて。作品内に唯一登場しない詩がヒッチコックだが、それが手紙に無くてアルバムにだけある理由も読了した人なら分かるだろう。ヒッチコックに限らず原稿用紙と手紙を使ったトリック的な演出が上手で、僕と先生のやり取りを通じて全体像が見えてくる。

櫂について。私の錨を知って波よ止まないでくれ=私の怒りを知って(感情の)波よ止まないでくれ、という風に聞こえた。これは最後の詩なので僕と先生のやり取りを踏まえての解釈ということになるが。

私が小学生の頃、小5か小6だが、課題として詩を書いて提出するというのがあり、めんどくせぇなと適当に書いて提出した記憶がある。当時の私は詩なんて全く興味のかけらもなかったし、今でもそうであるが、小説ばかりで詩集を読んだことがなかった。宮沢賢治も『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』は知っているが『春と修羅』は読んだことがなかった。これを機に読んでみることにする。

そして手紙の一番最後だけ、原稿用紙を詰めずに手紙を書いている僕の姿からも心境の変化が読み取れる。人生の意味とは何か?とよく聞かれがちな質問があるが、二人称を踏まえてその問いに応えるならこうなるだろう。「途方もなく広い砂の海からたった一粒の琥珀を見つけようとすることだ」と。

なぜタイトルが『二人称』なのかについても語りたいが、語りたいが、、、、それは核心に触れそうなのでやめておこう。久しぶりに面白い作品に出会えた。惜しむらくは、ヨルシカのライブチケットが絶望的に取れないことだ……。

2026-03-04|
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