久しぶりに通常のブログを書いてみようということで、今回はヨルシカの『二人称』について。結論を言えばただ「買いました」という報告で序盤しか読んでいないのだが、この本の面白いところは1冊の本ではなく全てが手紙という形式になっている点だ。「僕」と「先生」の手紙のやり取りを通じてストーリー全体が見える、という構造になっている。発売日が2026年2月26日(つまり本日)で楽天ブックスで予約していたのが届いた。
同じくヨルシカの来月発売のアルバム『二人称」には手紙の中に詩が登場する詩が1曲ずつ曲として収録されている。こちらは本ではなくCDで、その中には葬送のフリーレンop「晴る」だったり、チ。地球の運動についてop「アポリア」だったり、すでにシングル曲として出されているものも入っている。それが予め二人称の中にアイデアとして組み込まれていたのか、後から上手に組み込んだのかまでは分からないが……。
ヨルシカ自体は初期の頃から知っていて、最初のアルバムから一応全曲は聞いている。2017年だか18年あたりからTSUTAYAに行ってCDを借りていたが、当初から人気でCDがレンタル中で借りられずということはよくあった。それからiTunesでデジタル音源を買うようになった。春泥棒や思想犯あたりから本格的に聴き込むようになって、宮沢賢治や島崎藤村や尾崎放哉が断片的に引用されていることから文学が好きなアーティストなんだなという印象を持っていたがまさか本を出すとは驚きだ。ちなみにライブには行ったことはない。理由は単純で、倍率が高すぎてチケットが取れないからだ。直近だと3月にゼビオアリーナ仙台でライブがあり、今作『二人称』を引っ提げてのライブツアーらしいが、ファンクラブにも入っていない一般peopleのチケットでは無理ゲーなので大人しくDVD化を待つことにする。
なぜこんな記事を書いたかというと、作品の序盤に私の心に響く言葉があったからだ。それが「観客のいない作品に上達はあり得ませんから、他者の視線は君のためになる」という文言だ。これは「僕」が「先生」に詩の添削を依頼するという流れを踏まえての先生の言葉なのだが、きっと私がブログを通じて絵の練習を密かに公開している理由はその文言に集約されるのだろう。詩と絵では形式も媒体も違うが、作品にはギャラリーたちが必要で、私の場合その舞台としてブログが適切なのだ。Xやピクシブでもいいが絵がうまい人たちが大勢いる中で自分の作品を常に公開し続けていくには気力と体力と勇気がいる。その点ブログの良いところはその人のところに行かないと読めないという性格から、堅苦しくなりすぎないところだ。気兼ね無く練習過程を載せる事ができる。適切な距離感と言い換えても良い。
小説について。読書家といえるほど私は文学に精通していないし、昔の文豪といわれる人の作品は夏目漱石の『こゝろ』や安部公房の『砂の女』くらいしか知らない。(今回の『二人称』は夏目漱石のこゝろに影響を受けていると思われるが、それがどの程度までなのかは分からない。)現代作家なら伊坂幸太郎、恩田陸、村上春樹、村上龍、辻村深月、森見登美彦(敬称略)の作品はだいたい読んだ。ライトノベル作家だと読んでいるのは川原礫、時雨沢恵一、成田良悟(敬称略)くらいで、子供の頃は江戸川乱歩『怪人二十面相』、エミリー・ロッダ『デルトラクエスト』、ダレン・シャン『ダレン・シャン』J.K.ローリング『ハリー・ポッター』、ジョナサン・ストラウド『バーティミアス』シリーズはめっちゃ読んだ。言い換えるとそれくらいしか読んだことはないし、ジャンルというか読んでいる人が限られているので結構尖っている。それも昔読んだ作品というのが大半で、ここ数年は本は買っても読まずに積んでいることが多くなってしまった。学生のときみたいに体力・気力がアホみたいに充実していれば本まで読めるのだがオッサンになってくると悲しいことに本を読む気力がなくなってくる。そしてどちらかと言うと気力が余っていれば絵の練習がしたいから、もし本を読むとすればキムラッキの人体ドローイングの方を進めてしまうだろう。
そんなわけで、今回久しぶりにまともに本(手紙?)を読むことにしたので、読んだらまた感想を書くことにする。こういう風に気兼ね無く書けるのがブログの良いところだ。(もちろんイラスト練習と同時並行で)
『二人称』特設サイト
https://sp.universal-music.co.jp/yorushika/nininshou







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