僕の青春時代は京アニの作品と共にあった。「涼宮ハルヒの憂鬱」でアニメの世界を知って以降、どっぷりとその世界に魅了されてきた。「らき☆すた」では登場する主要キャラクター4人を通じてアニメの世界の奥深さを知った。続く「けいおん!」や「たまこまーけっと」では、可愛くてコミカライズな登場人物に癒やされた。「氷菓」や「中二病でも恋がしたい!」では主人公を通じて淡い恋心に似た気持ちを体感した。「聲の形」や「響けユーフォニアム」では他人と関わることの大切さを知った。僕にとって京都アニメーションの作品とは、まさに青春の1ページそのものである。
そんな作品の数々を生み出してきた京都アニメーションが放火され、33人が亡くなられた(2019/07/19現在)。大変痛ましい事件であるが、その被害者の中には、恐らく僕が見てきた作品に携わっていた方も少なからず含まれていることだろう。間接的にではあるが、アニメという媒体を通して、感動を届けて下さった方々が傷つき、そして亡くなられた事は、大変残念である。
僕にとって京アニのアニメは、生きる原動力でもあった。大学受験というプレッシャーに押しつぶされそうになった時、友人との関係に辟易した時、この世の全てから逃げ出したくなった時、いつでも京アニの作品が傍にあった。その中でも特に好きだったのは「氷菓」だった。主人公・折木奉太郎の視点を通じて、まるで自分が古典部に所属しているかのような感覚で作品を何度も見た。特に印象に残っているのは文化祭の話だ。物語の終盤、主人公が十文字事件と言われる奇妙な事件を解決していく様には圧倒された。今まで散りばめられていた物語の伏線がただ1点のみに収束していく展開には鳥肌がたったものだ。僕はそれを見ながら、そんな主人公のように格好良く生きてみたい、と願ったりしたものだった。
『やらなくてもいいことならやらない。やらなければいけないことなら手短に。』
この言葉をモットーに、氷菓の主人公はストーリーの中を縦横無尽に駆け巡る。しかしこれはアニメの世界の話。現実はそんなに簡単ではない。現代社会において、やらなくてもいいことと、やらなければならないことの明確な区別をするのは難しい。しかし、それでもはっきりと言えるのは、今回の事件は「やってはいけないこと」ではなかったのか。ガソリンを撒き、火をつけ、その結果として多くの人の命を奪った。理由はどうであれ絶対に許されないことだ。
やらなくてもいいこと、やらなければならないこと。そして、やってはいけないこと――この三者間の明確な区別をしていくことこそが、現代に生きる僕たちが心がけていく事ではないだろうか。今回の事件を知って、そんな印象を受けた。インターネットやSNSの発達によって気軽に発信できるこの時代、程度の差こそあれ、人は、時として盲目的になる。今回の事件がそうだ。犯人は、「氷菓」の主人公とまではいかなくても、『人を殺してはいけない』という単純明快な答えにたどり着く事は出来なかったのか。
被害に合われた方々の1日でも早い回復と、亡くなられた方々のご冥福をただ祈るばかりである。