1月も最後になりました。1年の十二分の一が終了したことになります。
今月は大きな転換が2つありました。
まず、心臓病で入院していた父が退院しました。本当に劇的な回復で、一時は死の淵まで行ったのですが、病院関係者の尽力もあって一命を取り留めました。ご心配してくださった方々、本当にありがとうございます。父は突発性拡張型心筋症という難病で、簡単に言えば、普通の人の10%程度しか全身に血液を送り込む力がないという心臓です。現在は心臓を補助する補助人工心臓という機械をつけており、その機械の助けを借りて日常生活を送っています。その為、常に機械を稼働させる為にバッテリー電源を持ち歩いています。肩掛け式のビジネスバッグを想像していただくと分かりやすいです。結構な大きさがあります。そこに機械のコントローラーとバッテリーが入っています。バッグから穴が空いていて、それが身体の中の機械につながっています。その為、機械が停止しないように電源供給を意識したり、あるいは傷口から感染しないように消毒する必要があります。しかし、このように幾つかの制約はありますが、それを除けば、他の人と変わらない生活を送ることができます。病院関係者の方からは、暫くの間は(つまり僕が実家に住んでいる間は)、電源供給や消毒の徹底、緊急時の対応等に気をつけてほしいということを伝えられました。とりあえず一段落、といったところでしょうか。
もう一つは、1年3ヶ月続けていたバイトを辞めたことです。父の病気の関係もあって、暫くはお金も必要だという理由から某スーパーでレジ打ちのバイトをしていました。朝の4時間(5時から9時まで)という短いシフトでしたが、多い時には週6で働いていたりもしました。そのために朝4時に起きるのが、結構しんどかったです。しかしそのお陰で生活リズムが整いましたし、色々な人に怒られ、励まされ、人間的に成長できた期間でした。決して勉強だけでは得られないものが得られました。特に大きな収穫は、人の目を見て堂々と話せるようになったことです。恥ずかしながら、僕はバイトをするまで人の目を見て話すことが出来ませんでした。怖い、といったら語弊がありますが、どうしても怖気づいてしまいます。しかし徐々にバイトを続けていくうちに、業務的とはいえ、レジ打ちを通じて色々な人と、実に色々な人と話すことが出来て、その点を克服することができました。時に私のミスでお客さんを怒らせたりしたこともあります。めちゃくちゃに怒鳴られたときもありました。しかしこんな経験も人生の糧となったのでしょうか。今日がバイトの最後の日でしたが、同じバイト(パート)の方からお餞別をいただきました。「折れない鉛筆」で、試験頑張ってということです。ありがとうございます。
さて、今回の記事のタイトルは小確幸(しょうかっこう)です。小さいけれども確かな幸せ、という意味だそうです。この言葉を生み出したのは文豪・村上春樹氏です。僕が好きな言葉の一つです。氏曰く、小さいけれども、確かにある幸せというのを感じ取ることが生きていく上で大切ですよ、というようなことです。エッセイ『村上さんのところ』で書いていました。小さいけれども、確かにある幸せを感じながら勉強がんばるとしましょう。8月までは試験勉強一本で行きます。ブログの更新頻度も増やします。(たぶん。)ここまで読んでくれてありがとうございます。それでは、また。