回想録。今から2年ほど前のことである。
ある日、何の前触れもなく、僕は唐突にソフトクリームが食べたくなった。理由は不明。ただひたすら、あの白くて冷たくて甘いソフトクリームが食べたくなった。
皆さんにも似たような経験がお有りではないだろうか。たとえば「ラーメンが食べたい」であるとか、「寿司が食いたい」などがそれである。腹が減っているけれど、特定の何かを食べたいという欲求といえばいいのだろうか。更にざっくり言ってしまえば、しょっぱいものが食べたいとか、辛いものが食べたい、といった経験がないだろうか。と言っても、しょっぱいものや辛いもの、ラーメンや寿司という広い範囲であればその中には幅広い選択肢がある。ラーメンでも味噌、醤油、塩、とんこつ等。寿司というジャンルにもマグロ、イカ、サバ等。それらを総称して、人によってはその中の何かを思い浮かべて「○○が食べたい」というのではないか。
しかし今回、突如として僕の内側から湧き出してきた、食べたいという欲求の対象は、なぜかソフトクリームという限定されたものであった。アイスでは無かった。ハーゲンダッツでも無かった。ガリガリ君でも無かった。ソフトクリームだったのである。なぜソフトクリームなのだろうか。理由は分からない。確か時期的に4月か5月頃のことだったと記憶しているが、その日だけ特別に気温が高かったわけでもないし、腹が減っていたわけでもない。ダイエットもしていない。甘い食べ物も別に制限していなかったし、といってあまり食べてはなかったけれど、兎に角ソフトクリームが食べたくなったのである。
もう少し具体的に書こう。ソフトクリームといっても、インターネットで調べてみると乳脂肪分が○○%であるとか細かい定義が出てくる。そんな話はどうでもいい。当時僕が食べたいとイメージしたソフトクリームとは、「機械があって、レバーを下げるとにゅっとでてくるアレ」である。レバーを下げている間だけ機械が動いてソフトクリームがでてくる。それをコーンやカップで受け止めて、くるくると回しながらとぐろ状に巻いていくアレである。コンビニに売っている完成したやつではなかった。大衆的なホテルや旅館のバイキングの隅っこに必ずといっていいほど置いてあるソフトクリーム製造機から生成されるソフトクリームであった。味はバニラ。兎に角バニラ。バニラ。バニラである。バニラじゃないと駄目だ。ストロベリーとかバナナとかじゃない。バニラ。口に含んだ瞬間に広がる甘い香り、舌先で解けていくバニラ。僕はそれが食べたかった。
僕は漫画喫茶に行った。目的はソフトクリーム製造機である。カラオケ店も考えたが、僕はカラオケに行かないので、ソフトクリーム製造機が置いてあるかどうかの確証が持てなかった。店によって置いてあったり置いてなかったりするからだ。バイキング店も考えたが、利用料金が2000円くらいするので止めた。このような理由で、僕は高校生の頃から使っている、馴染みのある漫画喫茶に行くことにした。漫画喫茶にはソフトクリーム製造機が置いてあることが多い。しかもどれだけソフトクリームを食べても利用料金は変わらない。行ったことがある人は分かるだろうが、漫画喫茶の利用料金は滞在時間で決まる。例えば15分150円から始まって、30分300円、1時間600円、3時間1,500円、6時間2,500円…という具合に、滞在した時間だけ請求額が上がっていく。
仙台駅西口に位置する目的の漫画喫茶に到着した。真っ昼間の平日に来たということもあって、漫画喫茶の利用者は少なかった。僕は個室ブースを選んだ。漫画喫茶にはオープン席とクローズド席があるが、その大半が個室(クローズド)である。個室といっても2メートルくらいの壁で仕切られているだけなので完全な個室という訳でなはい。しかしこのお陰で、壁に囲まれているだけでも周りの目を気にせずにパソコンをいじったり、漫画を読み漁ることが可能となる。それが200席くらいあるのが漫画喫茶だ。薄暗い空間に、迷路の様に入り組んだ漫画喫茶。壁一面には漫画が天高く積まれており、静寂な空間に、時折誰かがキーボードを叩く音や、漫画・雑誌の頁を捲る音が響き渡る。入り口にはドリンク・バーとソフトクリーム製造機。それと簡単な紅茶セットやジュース類。その厳かな空間に、初めて行った時の感動といったら凄いものだった。上手くは言えないが、なんだかとっても凄いことが漫画喫茶で行われているんじゃないかと錯覚する。そんな雰囲気がある。
しかし、僕の今回の目的はソフトクリームだった。漫画を読んだり、パソコンを使ったりする訳ではなかった。漫画喫茶を利用するにあたり、ソフトクリームを食べるだけだったので壁で仕切られていないオープン席でも良かったのだが、ただ一心不乱にソフトクリームを食べている男(20代、獅子座)を見たら周りはどう思うだろうか?と僕は密かに気にしていた。ただキモチワルイだけではないか。これが美しい女性であったならまだ絵になるかもしれないが、いやそれはそれで不気味なのだが、20代の男がソフトクリームを食べていたって、それが超絶イケメンでない限り無理であるのは火を見るより明らかだ。このような理由で、今回僕は、個室ブースを選んで黙々とソフトクリームを食べまくることにした。
個室ブースに到着すると、僕は早速行動を開始した。そう、ソフトクリームである。時間にして30分の滞在時間を考えていた。ソフトクリームを食べるだけなら、30分あれば十分だろう。ちなみにお値段、30分の滞在にして300円(324円)である。大量にソフトクリームを食べることを計画していたから、余裕を持って30分の時間を自分の中で設定したのだ。とはいっても、のんびりしている余裕はない。30分なんてあっという間である。手を洗ってから、意を決して僕はソフトクリーム製造機の置いてある一角へ向かった。
ソフトクリーム製造機の前に立つ。周りには誰も居ない。これなら思いっきりソフトクリームを作ることが出来る。僕はおもむろに機械の下に置いてあるカップを手に取り、レバーを下げる。それに呼応して、ゴゴゴゴという機械音と共に、ソフトクリームが出てくる。その純白で柔らかそうな成分で構成されたバニラ・ソフトクリーム。焦らず丁寧にソフトクリームのとぐろを巻いていく。完成した。ソフトクリームだ。これだ。これを思いっきり食べることを考えていた。
出来上がったソフトクリームカップを1個、スプーンを持って個室ブースへと戻る。椅子に座りまず一口食べる。至福の時間である。今まさに作りたて(機械)のソフトクリームが口の中に広がる。材料こそ安いのだろうが、なんとなく香るバニラの匂い、冷たい感触、今までの疲れが雲散霧消していくソフトクリームはなんとも至高の一品である。うまい。うますぎる。僕はひたすら食べた。最初の1個は1分くらいで食べた。続いて2個目、これも1分くらいで食べた。3つ目、少しだけ美味しいと感じなくなるが、それでも美味しい。3分くらいで完食した。4つ目。さっきよりも美味しいと感じなくなったが、5分位で食べきった。5個目。頭が痛くなるが、それでも食べた。なにせずっとソフトクリームが食べたかったのである。これでもかというくらいソフトクリームを食べるのが、今僕に課されたミッションである。頭の中で妄想が始まる。ミッション・インポッシブルのテーマが流れ出す。「君に課せられた今回のミッションは、漫画喫茶への潜入・およびメインターゲットS(ソフトクリーム)の調査である。なおこのテープは自動で消滅する」などとどうでもいいことを考えながら食った。ここまでで15分経過したが、合計で5つソフトクリームを食べた。少し休憩を取った。流石に5個連続でソフトクリームを食べるとキツイものがある。きっと店員も、監視カメラ越しに「こいつソフトクリーム食いまくってんな」と思っている事だろう。
実は、漫画喫茶の個室ブースには監視カメラがある。今の御時世、何処にでも監視カメラなんて設置されているかもしれないが、漫画喫茶の監視カメラは特別に注意が必要だ。基本どの個室ブースでも見られるように監視カメラが設置されている。天井や壁の隅っこに、利用者には絶対に分からないように小型カメラが設置されており、店側からは、何番の個室ブース利用者が、何をしているのか随時把握出来るようになっているのだ。これは犯罪防止とか色々な目的があるようだが、これから利用される方は注意されるのがよろしかろう。・・・なぜこんな裏話を知っているのか、と疑問を持たれるかもしれないが、何を隠そう、昔漫画喫茶でチョメチョメしたら特別清掃料金を請求されたことがあるからである。チョメチョメに関してはご想像にお任せすることにして、この時僕は漫画喫茶のブースにカメラが設置されていることを身をもって知ったのである。その時は顔から火が出そうだった思い出がある。特に紳士の方におかれては、漫画喫茶からは無料でHなビデオが閲覧できるようになっているが、それは罠であることを声を大にして言いたい。100%監視カメラで見られているので注意されたし。それらの正しい利用方法?は、予めUSBを持っていって、それに全部ダウンロードして、お家で楽しむやり方である。
25分が経過した。僕は7,8個のソフトクリームを食べていた。カロリーなんて知らない、兎に角大量にソフトクリームを食べまくった。腹一杯にソフトクリームを食べたから。ちょっとバランスを崩せば口からソフトクリームが出てきそうである。お会計を済ませて、店に入ってきたときとは正反対に、ソフトクリームなんてもう絶対食べない、と激しく後悔しながら店を出た。ミッションコンプリート。
さて、問題はこの後である。
家に帰る途中に腹痛に見舞われたのである。
とんでもなく痛かった。普段のそれとは全く比べ物にならないくらい腹が痛かった。よくよく考えれば当然であるが、30分で7,8個ソフトクリームを一気に食べたらどうなるか。小学生でも分かるだろう、腹を壊すだけだ。当り前である。しかし、タイミングが悪いと言えばいいのだろうか、その時は家に帰る途中だったから、すぐにトイレに行くことが出来なかった。僕は逡巡した。このまま家に帰るか、近くのトイレに駆け込むかである。僕は前者を選んだ。できれば家のトイレでゆっくりしたかったからである。結果から言えば間に合ったのであるが(漏らしたこともあるが、それはまた別の話)、その後、道中何度もその選択肢を後悔しながら、「さっきのコンビニに駆け込んで行けばよかった」と考えながら帰路についた。
なおこの後、僕は1時間トイレに篭ることになる。